お腹が一杯になる家、というのが魔女にはよく意味が判らなかったのですが、何らかの栄養源が
そこにあるなら――魔女はしっかりと土を踏みしめ、二匹の兎のぴょこぴょこした軽い足取りに着
いて行く事にしたのです。


 そしてしばらく歩いたでしょうか、目の前にあるのはお腹が一杯になる家でした。


 丸ごと全てが、甘いお菓子で出来ているのです。
 屋根はきらきら輝く砂糖をまぶしたクッキーやサブレ、窓は薄く延ばした七色の飴細工、桟はチ
ョコレートです。壁はクリーム色のスポンジに生クリームがたっぷり。四辺を囲む芝生はミントの
効いたガムでしょうか。
 とにかくお腹が一杯になりそうです。
 胸焼けしそうとか糖分過剰では、というのは二の次なのです。


「すご…いですね」
「すごいでしょ?ここならきっとおなかいっぱいになるわ」
「なりますよ」
「あ…でも」


 今すぐ齧り付きたい衝動はあるものの、あれは家の形状をしています。
 誰かが住んでいるのなら、それは勝手に食べて良い物ではないのでしょう。
 けれど兎はそれなら大丈夫、とにっこり笑います。


「たべてもきづいたらもとどおりになってるの。うちのこもね、よくここにきてははしっこをがぶ
がぶやってるけどおこられたことはないし」
「あ、ほらあそこに、」


 と指を指されたのは、何だか白かったり金色だったりする一回り小さい兎でした。


「しょうさいはあのこにきいてね。じゃあ!」
「さよなら〜」


 二匹の兎はひょいひょいと通ってきた道を帰って行きました。





 置いて行かれた魔女の目は自然、「あのこ」と呼ばれた白かったり金色だったりする小さな兎の凄
まじい勢いの噛り付きっぷりに言ってしまいます。


 ごくり。


 あの勢いなら少し頂いた所で変わりはしないんじゃない?と誰かが耳元で囁いている様な気がし
ます。その逆の耳元で人様の物に口をつけるなんて言語道断!とも聞こえた気もしました。


「…どうしたら」



 とりあえず兎に何か聞いてみようと近づくと、ふわんと甘い香りが鼻を擽ります。かっと体温が
三度位上昇しました。



「……」


 こそ、と覗いた兎は白くて金色で、顔の下半分は生クリームで覆われていました。
 ケーキの壁は見事陥没しており、その穴は兎の数倍の大きさです。熱心にはぐはぐと幸せそうに
食べ続けています。
 兎は性欲の強い生き物として有名ですが、その欲を全て食欲に擦り変えてしまったのかもしれな
い…そんなピュア?な可愛らしさでした。


 魔女は一つ深呼吸をすると、声を掛けました。





「あの…」
「……む?」





 予想外の鋭い眼光に貫かれ、魔女は思わず後退りました。


「あの、すみませんがこの」


 お家は誰のお家ですかーみたいな事を聞こうとしていたのですが、





「……私の食事を邪魔するつもりですか?」





 小さな兎は想像とは違い、低い声で、しかも漢字混じりにこう告げたのです。
 先ほどまでの愛くるしさは何処に、という気迫です。
 魔女は更にもう一歩後退しました。


「――邪魔するつもりなら」
「なら…?」
「貴方に齧り付きますが、その覚悟が出来ていますか」
「出来てませんっ!」


 この小兎ならやりかねないかもしれない、と魔女は思いました。
 それを当然だと言わんばかりの面持ちで、小兎は傲然と頷き


「ならば邪魔をしな」









「――――――なんだか騒がしいようね」







「?!」







 はっと振り向くとそこには、頭の天辺からつま先まで真っ白な少女が立っていました。
 薄い白のローブに銀色の髪、何よりも白いのはその肌と人間味の無い整い過ぎた表情です。
 拾われて老婆に育てられたかどうかは知りませんが、背筋が凍りつく程美しい少女でした(アウ
トオアセーフ)。


 思わず暫く魔女は見蕩れていました。


 そして少女の、唯一色のある金色の眼が、魔女とその横の喰い散らかされた壁を見て目を細めた
のです。
 そう、誤解されるには十分な状況でした。


「あ、ち、違いますよ?!」


 と小さな兎の方を向いてみれば、ぴょ――っと走り去る背中はもう豆粒よりも小さくなっていま
す。恐るべし逃げ足。
 やられた、と魔女は思いました。


「何がどう違うのかしら…」


 はて、と首を傾げる様は少しずつなんだか楽しそうに見えます。
 けれど魔女は必死で弁解する事しか出来ません。


「あの、私が食べたのではありませんから!」
「此処には貴方しかいないようだけれど」


 まるで信じてない口振りに魔女はとりあえず壁を殴りつけたくなりましたが、それをやったら別
の意味で現行犯です。



「ですから!私は通り掛かっただけで、見てはいましたけれど別段悪さをしようなどと思っていた
訳では無くて、だからこれは私ではないんです…!」



 拳をぎりぎり握りもにゃもにゃします。
 そんな挙動不審な魔女を見下ろした少女は、





「……とりあえず、話は中でしましょうか」





 と魔女を家の中へと促すのでした。






next→