灯りの落ちた薄暗い聖堂に独り佇む言峰の背中で、
鈍い軋みの音を立てて扉が開いた。
ごつ、ごつ、ごつ。
冷気と共に、厚みのあるであろう靴の、足音が近付く。
ゆっくりとした歩みには、どこか粘りと重み…躊躇いが感じられ、程無く立ち止まった。
言峰はその青年を眼に入れてから、じっくりと眺めた。
値踏みというよりは頭の天辺から足の爪先まで。
粗探しをするかのような視線だったが、それでも見られている彼の方は別段厭そうな素振りなど
無く、少し眼を伏せたままでそこに居る。
言峰はほう、と満足そうに息を吐いて、彼には珍しく穏やかに微笑んだかのように見えた。
「久方振りだな、衛宮士郎。活躍は耳にしているぞ――」
コンヒサン
変わったな、と言うより違ったな、という感覚をまず得た。
最後に見た、少年から青年に変わりゆくといった風情は全く為りを潜め、もう一人前の男にしか
見えない。
ジャケットにジーパン。ごつい薄茶の皮のブーツ。
そのどれもが使い込まれ肌に馴染んでいる。そしてそれは現代日本で普通に生きてきたというに
は、無理があるほどの慣れだ。
無害な草食動物の趣きは、未だ若いがしなやかな肉食動物のそれに近く――なにより背が伸び、
身体は完成へと近付いてきている。
勿論言峰程ではないが、数年を思えば驚異的である事に変わりない。
一歩を踏み出すと彼は…衛宮士郎は、一度大きく身震いをした。
身体には不釣合いな動作に言峰はふと立ち止まる。
そうして踵を返した。
「時間が有るならば座れ……コーヒー位なら煎れてやらんでもない」
ほの明るく灯が灯った。
頼りなく影が揺れる。
「……追い出されるかと思った」
手早くコーヒーを煎れてそれを士郎に取らせると、その銀の素っ気無いマグカップを両手で包み
込み、初めて士郎は声を出した。大きめの身体に聖堂の椅子は少し窮屈そうだが、大人しく収まっ
ている。
「…何故?」
何も思うところ無い様な声で言峰が言うと別に、といや…と応えにならない応えが返る。
「追い出されたかったのか」
続けると今度は無言だった。
ふうと息を吐くと、ぴくりとカップを持つ指が震えた。
少しずつ萎縮していくのが伝わり、言峰も少し苛立った。
「…そう緊張するな。責めている訳ではないのだから」
「……判ってる」
「?何がだ」
本当に不思議で尋ねる。
「……あんたは俺を責めないって」
独り言にも聞える、どこかしっかりした声を拾った言峰はぴくりと眉を顰めた。
士郎は無表情に呟いた。
「いきなり来て、ごめん」
士郎が独りで聖杯戦争を生き抜いてから
二人は一度として会っていなかったのだから、全くの「いきなり」で、士郎が衝動的に此処に来
たのは明らかだった。
またその中でも特別どうこうした二人ではない。
それでも言峰には予感があった。
士郎も積極的に会話をしたくて此処に来た様ではなく、温くなっていくコーヒーに時折口をつけ
るだけで黙りこくっている。
言峰は彼を眺めたり、思い浮かぶ物事に思い巡らしたりして時間を過ごした。
圧し掛かる沈黙は快い。
この喉から出掛かって詰まった様な苦痛が、空気に響いて皮膚から伝わる感じが堪らない。
コーヒーを遂に飲み干した士郎はカップを長机に置いた。
言峰はそのカップを引き寄せようと近付く。すると
「…あんた少し痩せたか?」
不意に士郎が言峰にそう言った。
「…そう見えるか?」
「…少しだけ。あんた凄いごつかったじゃないか」
数年前を思い浮かべているのだろう、士郎は目を細めて言峰を見ている。
言峰は自分の肩を見やる。
確かにあの頃よりは、殺がれた肩を細めた目で撫でて、厳かに告げる。
「ここ数年は穏やかに暮らしていたからな」
「穏やか?」
「ああ、只日々聖書を読み、神の教えに従い…安らかなものだった」
「…そうか」
士郎は少し眩しそうに言峰を見ている。
自分には手に入らない物を、見ているかの様に。
言峰はそれに気付き、苦笑してみせた。
「それに増しても、貴様自身が成長したという事だろうよ。随分と変わったな」
素っ気無い、当たり障りの無い言葉の筈が、意外な事に士郎は大きな反応を示した。
瞬時に表情が曇る。
「…そんな事無い」
「?衛宮士郎」
「俺は、別に……」
「……」
言峰が訝しげに士郎を見れば、小刻みに震えていた。
指は強く膝を掴んだまま関節は真っ白で、彼の異常が容易く知れた。
「どうした」
「俺、俺……は」
「……」
「俺、おかしいんだ」
ひび割れていく声が悲痛な響きを帯びた。
数年間が衛宮士郎を壊したのだ
彼は途切れ途切れにそれを、言峰に告げる。
言峰はまるで 神に仕える者 の如く優しく何度も宥めながら最後まで聞き終えた。
「俺は…俺が俺じゃない様な気がして堪らなくて……」
「そうか」
そうだろう。
思想のみが生きるならそれは生きるその「者」では有り得ない。
「それどころか!…自分がどうだったかすら思い出せない」
「そうか」
忘れたい記憶はきっと箱に押し込めでもして忘却の彼方へと願った癖に。
代償は後悔。浅はかさを呪っても遅すぎる。
「戻ろうと、思ったんだ」
貴様は選択した時、既に道を選んだではないか。
愛する者を殺し何より己を殺しその代わりに
何を生かす。
何を生かした。
浮かんだ言葉全て言峰は、告げない。
優しく宥めるだけだ。
泣き崩れた士郎は、言峰の両腕を強く鷲掴んだ。
「もう……あんたしか思い浮かばなかった」
言峰の背中に覚えの無い感覚が走る。
否、忘れていた感覚。
「ああ」
言峰はその背を撫で、耳元で囁く。
「私は此処に居る」
「っ…」
「貴様の苦しみは…痛いほど判る」
「ぁアア……!」
嘘ではない。
けれど酷く掠れ甘さすら感じさせるその声には、
同じ丈の思いなど籠められていない。
それでも士郎はしとどに涙を流し続ける。
言峰の黒衣に涙が滲んでいくのを見ながら、
少しずつ救われる。
(そうして貴様は再び失う)
言峰は心の中で呟いた。
呪いに蝕まれた体は今もなお秒速で重く鈍く感じられる程で、
ここまでもったのが不思議だった。
だから間に合わないかもしれないとも思った。
それはそれで良いかとも思ってたが、間に合った。
だから、嬉しい。
「嬉しい」という感覚を此処に来て初めて知った事に彼も又気付かない。
溺れる者が藁を掴む。
ただそれだけ。
藁は他愛なく指の合間を擦り抜けるもしくは千切れ儚く散る。
……藻掻いた分だけ失望も深くなろう。
――今際の刻みの施しをその身一杯に浴びながら
言峰は士郎を胸に抱いた。
「……主よ、この哀れな魂に憐れみを」
そして打ち拉がれた彼の耳元に呟く。
堕ちて来い。
「さあ、衛宮士郎。告解を――――」
そして自分が誰かを忘れた青年は
誰に告げるのかも判らぬまま
嗚咽交じりに吐き出すのだ
「…………………許、して」と。
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HF中萌えたバッドエンド中一・二を争う萌えエンド(笑) その後です。
士郎が桜の味方にならない事を選ぶなんて少しも思わないんですが、あのエンドは萌えた。
あの神父ですよ!神父はどれだけ切嗣を評価しているのか!(汗)
神父の中での切嗣は凄く大きい。
HFのあの神父は、士郎があの道を選んだとき死ぬほど恍惚としたと思う。
神父は切嗣が憎くて相容れなくて、でもどこかで神聖視?してて。
そんな切嗣が子供引き取って幸せになんかできるものかっていう反感があって。
切嗣の特別であった士郎にすら嫉妬のような感情を覚えて。
その上で士郎が結局切嗣と同じ道を選ぶっていう現実の皮肉な符号は神父にとっては、
自分自身何も救われてないのに死ぬほど幸せだったんじゃないかなとか妄想する訳です。
それが性的興奮なのか、はたまた違う物なのか。
そういう所が切嗣と言峰の関係って殺伐ニアホモ燃えだなぁー。
ぶっちゃけ私には士郎一人で聖杯戦争生き残るってそれどういう状態なの?
としか思えないんですが(オイ)
すげえ策略とか策略とか容赦なくやっちゃうんでしょうかね?と。
そしたらあの士郎は、本気で全てを失うよねー。
で、あれで終わったら士郎の中で神父はいけすかない奴だけど、
俺の考えを尊重してくれる…。
つまり好印象?なわけではないかと言う話。
(神父は戦わなかったようです←曖昧過ぎ)
ええと、凄いネガティブなのでその後については要スクロール。
この話の後、士郎はきっと仕事を終えたら神父に会いに来ると思うんです。
で、無言で言峰の近くの机についてぐったり顔を置いて
「…凄く沢山の人を殺した。助けた人も多かったけれど、沢山殺した」
「そうか」
「……うん」
「……大変だったな」
「……うん、大変だった」
言峰はぶっきらぼうな優しさで士郎を包み込んでくれるし、ぬるま湯のような心地好さに士郎は
浸ってつかの間の休息を得るのですね。
でもある日帰ったら言峰は白いベッドに一人横になっています。
士郎は本気でまた失うのか!とか思うんですけど、言峰は大丈夫だって言います。
そんで初めて言峰「……おかえり」って言います。
士郎はもうああここが俺の帰る場所……とか思います。
また来る、にもああ、待っている、て答えちゃう言峰。
次来たらもう言峰死んでますから!!!!!!!!
見慣れない老神父が弔ったと士郎に告げるんです。
「言峰神父は感情を表に出す事が滅多に無かったがとても素晴らしいお人柄だった…」
とか言うのです。
士郎は勿論聞いてないです。もう吐きますよあの子。
……すみません。
ええと、コンヒサンというのはポルトガル語でそのものずばり告解です。
入が丁度えんどうしゅうさく先生の「沈黙」を読み終わった後、
そういうイメージで考え込んだような。そんな話です。