目が覚めると、他人の背中が目の前にある。
しかも裸のだ。そう厚くは無いが、かっちりとした白い肩で性別は判断出来た。
男だ。
とりあえず確認ついでに顔を覗きこんでみようとした。
が、相手はうつ伏せに、ぎゅっと枕を顔に埋めている為敵わない。
しかし、ちらりと目の端に移った首筋には、小さな痣のような物があった。まだ生々しさの残る
赤さで、少なくとも布団に入って一緒に寝ただけなら付く筈の無い物。そして虫刺されにしては数
が多すぎた。
…寝たのか。
短い髪だが襟足だけ伸ばすというけったいなヘアスタイルは社会人とも思えず、首を傾げそうに
なる。
男なのは別に良い。
というか今更、女だったら逆に驚く。
どちらも、なんてバイタリティは持てなくて、自覚してからはその道一本に通してきた。
名も知らぬ男とは寝ないというポリシーが有る訳でもない。
ただ、思い出せない記憶の欠片の断片を探るまでも無く、酷く満足しているのだ。
年嵩位の男の方が肌に馴染む筈なのに、と。
ツキン、と頭痛がこめかみを突いた。
昨夜は過剰にアルコールを摂取した覚えはある、気がする。
しかしその前後はどうしても思い出せない。
いずれにせよ二日酔いの頭では、冷静な現状確認は不可能らしかった。
「そうだ、時間は…」
仕事に遅れる訳にはいかないとやっと思い出した。
普段は枕元に置いてある腕時計を探ったが、それらしいものの感触は得られない。
身を起こしてみてあまりにも遅いが、重大な事に気付いた。
「…どこだ、此処は」
自宅に連れ込む、なんて事はした事がないのに、何故だか其処が寝慣れた自分のベッド
だと疑いもしなかったのだ、と。
なんとなく…気まずい気分に、頭をぼり、と掻いた時だった。
「ふあ……」
びく、と身体が反応しベッドの端に後ろずさる。
布団に埋もれて男が身を捩った。
「……む」
目が覚めたのかと思えば、彼はぐりぐりと枕に顔を押し付けて、再び脱力。
ぷしゅ〜、という効果音が似合いそうに力を抜かせて気持ちよさそうだった。
実際すうすうと聞えてくる寝息はどこか可愛らしくて
「……」
思わず少し見入ってしまった。
「い、や。違う、時間だ…おい!君…」
我に返ったと同時にその裸の肩に触れた。張りのある青年の肌の感触。
「…んだよ…」
ぺしっと手を払われて再び枕に埋もれようとする。
それでは困るのだ。
「起きてくれ、すまないが」
真剣にそう言うと、何故か呆れた様に溜息だ。
「まだやんのかよ…こっちはもう空っけつだぞ…眠い…」
「っ!」
初めてまともに聞き返す声は低く掠れていて、どうやら自分はかなり頑張ったらしい…って違う
だろう!
動揺がますます焦りを呼んだ。
「そういう用件じゃない…起きてくれ、起きろ!」
体が丁度反転し、こちらを向いたその時、ぱちっと目があいた。
息を飲む。
その、やけに若い男は寝ぼけを隠そうともせず、もう一度欠伸をした後。
ちょっと見とれるような、印象的な笑みを浮かべた。
「おはようさん…腰が痛ェぞ、この強姦魔」
皮肉だ。
「……は?」
多分物凄く間抜けた顔をしていただろうと自分でも思った位だ。
男は歪めた唇をくっと上に上げたかと思うと「すげえツラ」と一言、屈託無く笑う。
思わずもう一度「は?」と声を発すると、男がくるりとベッドの上で反転し、素っ裸の身体が現れる。
そのままそこら辺に落ちていたジーパンに足を突っ込み同じく少し伸びたシャツを被って頭を出す。
ごくシンプルな身支度。ちろり、とこっちを見る。
「…おいおい、別にストリップしてる訳じゃねぇんだが」
ずっと見続けていたのを揶揄されて慌てて視線を外す。
いや、そこはストリップは脱ぐ方だろ、とつっこめよと冗談めかされても、何も言えない。
どうした事だ、と動揺するばかりだがそんなのをお構い無しに男は着替えを終了して
「さて、と」
と言った。
「朝飯どうする?」
「…は?」
何度か目のは?に男は溜息をついた。しょうがねえなこいつと言わんばかりに。
「俺、こんな早い時間に起きる事自体、滅多にねえの。でも延々、運動させられて、腹が減ってる」
だから飯。自炊とかしねえから食える物そう無いぞ、ととぶつぶつ切りながらゆっくりとした説
明を切り上げた。
「どっか食い行く?」
男の飄々とした雰囲気に飲まれそうになったのをなんとか気丈に自分を取り戻し
「……強姦魔呼ばわりしておいて、随分とフレンドリーだな。案外あんた楽しんだんじゃないか」
過ぎた皮肉を自分でもやってしまった、と思う。
みるみるうちに男の顔は険しくなった。
「――あん?」
あたりの室温も下がったのではないかという低温とずかずかと近付く勢いに畏縮して身を退いた
が生憎ちなみにこっちは未だに素裸で布団の中、逃げられる筈もない。
太腿を強く踏まれた。狙ったのかどうかは判らないがやけにツボに的確だ。土踏まずから踵にか
けてがぐいぐい骨まで食い込んでくる。痛い。物凄く痛い。
「ば、肉、肉がっ!」
「…こっちが水に流してやった事をうだうだ言ってんじゃねえよ」
低音の怒りのこもった声は男が本気だと伝えていた。そして男は明るいだけでなく、ダークな一
面も持っているのだと否応無く知らされた。
「…随分酔っ払ってたからな。別に悪気があった訳じゃあ無いのも判る。こっちも楽しまなかった
って言ったら嘘になるしな。でも俺はテメエのしみったれた愚痴を延々聞かされて面白くない所所
押し倒されやっぱり延々突っ込まれだよ。うんざりしても仕方ねえだろ」
「っ!」
耳に痛い事をマシンガンの様な速さで、けれど針でちくちく突付く様に言われて、羞恥もあって
逆に意気地が勝った。愚かな事に。
「嫌だったなら殴るなり蹴るなりしたらよかっただろうよ」
誓って言うが昨夜の事など殆ど覚えていなかった。
相手が嫌がったか喜んだかなど知らない。それなのに貶めた。抵抗しないのが悪い、本気で嫌じ
ゃあ無かったんだろうと聞こえてしかたない台詞。
女性に向けたなら殺されても仕方がない台詞だった。
男に向けてならどうだろうか。やはり殺されて…とは言わなくとも歯の一、二本は覚悟が必要だ
っただろう。
がここで男はまた意外な事に、腿を抉る足を止めた。
「だから、別に嫌だった訳じゃねえよ。ただまあ、好きなセックスでは無かったっつーかな」
不本意そうな苦笑と、完全に主導権を取られるのは好きじゃねー、とかそんな事を恥ずかしげも
照れも無い言葉に逆にこっちが恥ずかしくなる。
そもそも男の顔立ちは特別趣味ではなかったが、本当に女好きしそうな男前だった。くるくる回
る表情も見ていて飽きない要素だろう。
少し体温が上昇して、思わず目を反らした。
が、またもやにやにやと笑いながら男が言い放った。
「でもあれだ、お前溜め過ぎだろどう考えても。行きずりの男相手にあんだけ発散、て。悪くすり
ゃ目覚めて死体とご対面ってのも有り得るんじゃねえか?」
カチン、と来た。
そういうあけすけな話題をする様な男と寝る事なんてここ数年無かった。
大体なんで俺はこんな男と寝る羽目になったんだ
趣味じゃないんだぞこんな下品な男!
「お前の知った事じゃない!」
ここから立ち去りたくてたまらなくなった。
目の端に映っていた自分のシャツ、下着はベッドの足の辺りに落ちていた。ベッドから抜け出し
て拾った。足を通しながら男の視線は気にしない…ようにする。
「親切心で言ってんだけどな」
「ああ、そうかそりゃどうも」
ぼさぼさの髪は手櫛ではどうにもならなそうだがもうそれもどうでも良い。
「じゃあ俺も老婆心ながら言っておく。慣れてるのかどうかは知らないが、自宅に見知らぬ男を連
れ込むのはどうなんだ?俺が性病でも患ってたらどうする」
靴下はゴミ箱に捨てた。
「え、マジで?うわヤバい…」
「喩えだ馬鹿!」
「あっはっは!」
思わぬ誤解を生む所だった。流石にそこは訂正するが男にはウケた様だった。
それからはもう無言。
身支度は出来たが流石に何も言わずに出て行くのは憚られて、ドアの前で
「世話になった」
気付けば男は煙草を咥えていた。
「…そらどーも」
くぐもった声で男はまだ肩を震わせていた。
一夜を過ごしたのはそれ程古くないマンションの一室で、景色を見れば運良く見知った駅の近く
だった。自宅からは遠いが、会社からは三駅という所だ。ほっとした。どういう経緯でここに来た
のかを知らなければ、ここが何処か判らなくてもおかしくなかったのだから運は良かったのだと思
う。
……いや、昨日から重ねたであろう失態の数々を思えばそんな運の良さなんて帳消しになってし
まうだろうけれども。
気が滅入る中歩いて駅へ向かう。
改札は込んでいた。
このべたべたした身体で電車に乗るのかと思うとまた落ち込む。
しかしこればかりは、と鞄の中に財布を探した。
探す。
が。
「……無い」
血の気がひいていくのが判った。
金が無ければ電車には乗れない。
咄嗟に思ったのはあの部屋かもしれないという事だった。振り向く。
が、次のアクションには踏み出せなかった。
その場に立ち竦む。
その間も冷や汗が流れ出る。
どんな面をしてあいつの前に顔を出せというのか。
「あああああああ……」
結局男は大爆笑しながら迎えてくれたのだが。
これが俺とあいつが一緒に暮らす事になるきっかけだった。
長年(本当に長い)撃さんと暖め続けたエミ槍の同棲モノです。
同棲だいすき!
そんな感じにもそもそ暮らすお話書きたいです。
この直後とか半同棲とかも手を出すと思います。
楽しくてすみませ…!(笑)
【入】